中東からの難民のモハメド(仮名)さん。
彼は車のエンジニア。かつてはドバイ、トルコや欧州を渡り歩き、コーヒーを売ったりしていたこともあるといいます。
2014年に日本に来ると決まったときから、彼の心には「ハラールレストランを立ち上げたい」という想いがありました。
「エンジニアなのに、なぜレストラン経営を始められたのですか?」と尋ねると、「日本にはアラブ料理がまだまだ少ないから、ハラールの本当のアラブレストランを経営しようと思ったんだ」と真剣なまなざしで答えてくれました。
レストランの外装は彼の手作り。長テーブルが5つ程度しかない小さなレストランですが、ガラス張りでアラビアンランプを点けていたり、電飾を施したり、テーブルに水タバコを飾っていたりと雰囲気づくりを工夫している様子でした。
「色々改良したいところはもっとあるんだが、まだまだ時間がかかりそうだ」と彼は言います。
三人の子ども、料理上手の妻
モハメドさんは、奥さんと高校生の息子、そして、まだ小さなもう一人の息子と娘と暮らしています。出産前には、奥さんがレストランでアラブ料理を作っていました。
「妻が料理上手なんだけど、産後でね――今は料理人を雇ってるんだ。高校生の息子は勉強にクラブに忙しくて俺の手伝いどころじゃないよ。」
奥さんが産後だからといって店を閉めるわけにもいかず、現在は「アラブ・アジアン料理屋」という看板を立てています。ケバブやカレーが人気メニューです。
「起業して学んだことは、社会のシステムだ。」
モハメドさんが起業を決意したとき、家族はすぐに賛同してくれたと言います。
しかし問題は日本語。「もう歳の俺に今から日本語はできないよ。あ、でも息子はもうぺらぺらだけどね」と困ったように微笑みます。そんな時助けてくれたのが、保健所で出逢った日本の友人でした。必要な手続きや書類について英語で説明してくれたり、随分助けられたそうです。
ESPRE(難民起業サポートファンド)のカウンセリングでは、モハメドさんは起業後の具体的なプランや、すでに進めている準備をアピールし、評価されました。リスクをとって起業に向かって邁進する姿は印象的でした。
その後、やっとのことで立ち上げた一軒目のお店の継続が難しくなりましたが、決してあきらめず、新しい物件を探して、埼玉県で二軒目を立ち上げました。都内の喧騒からはずいぶん離れた穏やかな場所です。
「以前のレストランでは外国人のお客さんが多かったのに、埼玉県に来てからは日本人ばかりだよ」――日々、日本語に悩まされている様子でした。
そんな大変な中で、「起業して一番良かったことは何ですか?」と尋ねると、迷うことなく彼はこう答えてくれました
――「日本社会におけるビジネスのシステムが学べたことだな」
それでも、「アラブ料理を食べてほしいのです」
レストランの内装を自力で改良したり、テイクアウトや出前も実施し、チラシやポスターを製作したりもしていますが、そう簡単に集客につながることはないのが現実。収入向上のために、移動販売車でケバブやグリルチキンを販売しようとも考えていると、レンタルした販売車を見せてくれました。
「アラブ料理は最高だよ。もっと日本の人たちに食べてもらいたいな」
決して簡単なことではないけれど、アラブの味を日本に広めるべく奮闘しているモハメドさんを、ESPREでは引き続き支援していきます。