難民の起業による経済的自立をサポートしています。

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難民起業サポートファンド(ESPRE)の事業

難民起業家が直面する課題は、日本の市場や商習慣の掴み方、そして資金調達の難しさ。

私たち難民起業サポートファンド(ESPRE)は、これらの課題に対して、日本で初めての難民向けマイクロファイナンス機関として、経営支援と共に事業資金の融資を組み合わせて解決を試みます。

具体的には、難民との信頼関係を有するNPO法人難民支援協会(JAR)とも協力しながら、難民起業家と事業の進め方を共に考えた上で、最高100万円程度の少額融資を行います。そして、外部パートナーの経営支援スキルやノウハウも活用してサポートを行い、伴走しながら難民起業家のチャレンジを支えます。
事例はこちらをご覧ください。

これらの事業拡大を通じて、私たちは、難民がともすれば社会の「重荷」と認識されている現状から、彼らが大切な「人財」となる未来を目指します。

ESPREでは、難民起業家支援のために、皆様からのご支援をお願いしております。
詳しくは、こちらをご覧ください。

なぜ、「難民起業家」か

現在、シリア難民をはじめ、難民のニュースが連日放送されています。難民とは不当な理由による迫害から逃れた人々を指します。世界で約6500万人にのぼり、実は日本にも逃れて来ています。日本での難民申請は2015年で7,586件に。しかし、難民認定を得ることが非常に難しいだけでなく、平均3年という長い審査期間があります。その間のセーフティネットはわずかであり、定職につけず不安定な生活を送る人が多くいます。

そんな中、支援される存在であり続けず、起業に挑戦し雇用も生み出している「難民起業家」=難民という背景を持つ起業家=がいます。すでに成功している人もいますが、今も多くの難民が、起業という挑戦をしたいと考えています。

高いポテンシャルを持つ難民は少なくありません。起業した事業で仲間を雇用したい、と考えている人も数多くいました。「歳を取っても仕事を続けるために、自分で事業を始めたい」「自分たちの文化を伝えたい」「自分の能力で生きていきたい」「本国でも事業を経営していた」…動機はさまざまですが、その意欲の強さは共通しています。

難民が難民を助け合う。起業にはそのような意義があります。社会に貢献したいという想いも、難民起業家からよく聞きます。

多くの「難民起業家」を輩出できれば、その家族や従業員など、何倍もの難民の生活と日本社会に前向きな影響を与えられます。

しかし、2つの壁が、そこには存在しています。

難民の起業を阻む、「資金調達」「異文化でのビジネス」の2つの壁

難民が日本で起業するとき、2つの壁に直面します。

1つめは、「資金調達の難しさ」。多くの難民は、担保や保証人を確保できない、日本での事業履歴がない、言葉も分からない、といった理由から、公的機関や銀行から借り入れを行うことが難しいという現実があります。

2つめは、日本という「異文化でのビジネスの難しさ」。難民は、事業を起こそうと、日本を選んでやってきたわけではありません。難民は「生きるか死ぬか」の狭間で、必死に逃れる先を探します。

いくつもの国のビザを得ようと挑戦するなかで、最初に扉が開いたのがたまたま日本だった、という場合がほとんどです。そのため、日本語が話せるわけでもなく、日本の文化や習慣に詳しいわけでもありません。このような状況で、難民が自身で売り上げの向上や安定を図ることは、容易ではないのです。

壁に直面する難民起業家を支える「マイクロファイナンス」と「起業支援」

【ESPREの事業イメージ】

これらの壁に対して、ESPREはマイクロファイナンス機関として、難民起業家を支えています。1つめの壁には、「起業/事業資金を融資する」ことでアプローチしています。事業内容と人物を審査したうえで最大100万円を融資し、資金面の困難を和らげます。

また、お金を貸すことだけが、マイクロファイナンス機関の仕事ではありません。2つめの課題に対して「事業を軌道にのせるための経営支援」を提供し、難民と一緒に考えながら、解決を図っています。

「難民起業家」の例:ミャンマーから難民として日本に逃れてきたタン・スィゥさん夫妻

ミャンマー料理レストラン「スィゥ・ミャンマー」(高田馬場)
タン・スィゥ氏(左)、タン・タン氏(中央)とESPRE代表の吉山(右)

高田馬場で、こだわりのミャンマー料理を提供しているレストラン「スィゥ・ミャンマー」。この店を経営しているタン・スィゥさん、タン・タンさん夫妻は、ミャンマーの民主化運動に関わったことから迫害を受け、約20年前に日本に逃れてきた難民です。

日本では、当初は言葉の壁もあり、日雇いの仕事を得ながら民主化運動にも関わってきましたが、ある日本人の建築会社社長と出会い、社員となることができました。その後、長らくその会社で働き、貴重な人財となっていました。

しかし、震災により会社が移転を判断。日本での民主化運動のリーダーでもある彼は、東京にいなければなりません。二人の子どもを支える責任もあり、選択を迫られました。最終的に選んだのが、妻であるタン・タンさんが得意としていた料理を活かした、レストランの開業です。

レストランは、蓄えを使い、自前で内装をすることでコストを抑え実現にこぎ着けましたが、当初考えていたよりも費用が掛かってしまいました。顧客が増えるまでも時間はかかります。

そこでESPREからは開業後、融資を行うとともに、メニューやプロモーション、接客などのアドバイスなどを行っています。また、税理士とともに税務・会計の支援も行い、多方面で経営能力を向上させています。

いまや、スィゥ・ミャンマーは高田馬場にある数多くのミャンマー料理店の中でも評判が良く、売上げも向上しています。家族だけで立ち上げた店ですが、アルバイトも雇えるようになりました。その家族を含めると、10名以上の経済的状況を改善したことになります。

地域にも、マスメディアにも取り上げられ人々を惹きつけるなど、プラスの効果を生みました。「支えられる側」であった難民が、雇用を生み出し、日本社会に貢献する、そんな好循環が、難民起業家のチャレンジによって生まれているのです。(他の難民起業家の事例はこちら

支援で重視しているのは「本気で挑戦」していること

ESPREは、これまで約30名の難民起業家に、経営支援を提供してきました。また、6名に融資を行いました。融資にあたっては、難民起業家の事業および人物を、企業経営者や会計士などの有識者で構成される融資審査委員会にて審査を行っています。

融資審査においては、事業計画はもちろんですが、私たちが最も重視しているのは「本気で挑戦」していることです。通常、経営支援は融資に2ヶ月以上先だって実施しますが、それは難民起業家との信頼関係を構築し、その挑戦が本気であることを確信する期間でもあるのです。

なお、経営支援には現在、複数名の税理士や弁護士、経営コンサルタントなどにESPREのプロボノとして活躍していただいており、事業計画や法律関係などの支援を提供しています。イラストレーターやフォトグラファーなど、クリエイティブ面での協力もあります。

また、専門家のみではありません。一般企業で働いている方や学生の方もいます。現場で直接汗をかくことから事業戦略を考えることまで、ESPREは一丸となって難民起業家への経営支援を行っています。

難民起業家のニーズに本格的に応えられるように、応援してください!

ESPREの支援により、難民起業家が雇用した難民の家族も支えられるため、ひとりへの支援で10倍以上のインパクトがあると考えています。生活が安定した難民は、コミュニティの一員として、同胞だけでなく日本社会にも貢献したいと考えています。

さらに、融資は返済されれば次の難民起業家を支えますので、一つのお金が繰り返し、インパクトを生みだします。ESPREは難民を「負担」ではなく「人財」に変える、効果的かつ効率的な取り組みであると確信しています。

資金が融資として繰り返し、インパクトを生みます(イメージ)

今でも新たに支援を求める難民起業家がESPREを訪れて来ています。輸入業やIT関連事業など、新たなアイデアに挑戦しようとしています。しかし、その全てには応えられていません。多くの人がプロボノやボランティア、寄付など、様々な形で参加してくださることで、ESPREは今まで応えきれなかった難民起業家のニーズに応えることができます。そしてそれが、一人でも多くの難民起業家が、日本社会にも貢献できるようになることも、意味しています。

どうか、応援をお願いします。

難民起業サポートファンド
代表理事 吉山 昌

  • 難民起業家の事例(ESPRE支援事例)はこちら
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ベトナム料理店Yellow Bamboo(霞が関)を経営する難民起業家南氏との打ち合わせ

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