多国籍都市、新宿。いまやコリアタウンとして有名になった大久保から一駅となりの高田馬場は、リトルヤンゴンとも呼ばれます。ミャンマー人が多く暮らし、彼らによる飲食店も多くあるからです。早稲田大学からも近く、いつも賑やかなこの街の一角に、Swe Myanmar(スィゥ・ミャンマー)というミャンマー料理店があります。
この店は、ミャンマーからの難民のタン・スィゥさんが、2012年11月から家族で営んでいます。80を越えるメニューが並び、ミャンマー人コミュニティのメンバーにとっても、またミャンマーを旅したことがある日本の人にとっても、本場を味わえる場所として親しまれています。
タン・スィゥさんは、もともと地質学を専門とする大学講師でした。しかし、1988年に民主化運動が活発になり、彼も次第に運動に関わる事になります。しかし、拘束の危険を伝えられ、海外に逃れ難民となることを余儀なくされます。出国した数日後には、実家に軍が来て、家族を連行してしまったといいます。来日後も民主化運動を続けましたが、異国の地で20年を越える歳月を重ねることになるとは、考えてはいませんでした。
来日後は、日本語も分からない中でただ精一杯生活をしていましたが、よい出会いに恵まれ、建築会社の社員となり、内装に関わる仕事を続けてきました。そして、ミャンマー民主化のための活動のリーダーも、続けてきました。しかし、突然の勤務先の移転に直面し、活動を続けることとの間で悩んだ末、起業という道を、見つけました。
近年は、在日ミャンマー人が飲食店を立ち上げる事例が増加しています。奥さんがミャンマー料理店への料理の提供に関わったこともあり、タン・スィゥさんにとってもレストランを起業することは自然な結論でした。飲食店の立ち上げには数百万円は必要となりますが、それまでの蓄えを使い、内装は自ら行う事でコストを抑え、なんとか開業に至りました。
開業後、料理とアットホームな雰囲気が評判を呼び、次第に来店客は増加しています。まだまだ売上げは不十分で、生活は厳しい状態です。また、収支管理など、起業後は自らしなければならないことが多くあります。しかし、ご夫婦の性格もあり、ミャンマー人、日本人含めて多くの人が店を手伝い、一つずつ課題は解決していっています。
将来は、もっと店を大きくして、ミャンマーの文化を伝えたいと言います。時間はかかるかも知れませんが、その挑戦によって、彼の家族にも、民族にも、また地域にも、多くの価値を提供してくれるでしょう。その夢を実現すべく、ESPREも、伴走し続けたいと考えています。
※ ESPREは、タン・スィゥさんに対して、融資と経営支援を提供しています。プロモーションなどをアドバイスするとともに、プロボノの税理士のご協力を得て、会計管理の改善も支援しています。
ビルマ料理を中心に、ミャンマーの本場料理を80種以上も提供しています。食材によってはわざわざ現地から取り寄せるなど、こだわりの料理の数々は、リピーターを生んでいます。タン・スィゥさん夫婦の作るアットホームなお店の雰囲気も、魅力です。
店舗:東京都新宿区高田馬場3-5-7(Tel: 03-5937-0127)